月さえも眠る夜〜闇をいだく天使〜

8.やまない雨と咲かぬ花



慰霊式典の次の日から、アンジェリークは笑顔をみせるようになった。
しかしそれは、かつて天使のよう、といわれた彼女の笑みではなく、静かな、悲しい笑みだった。
とにもかくにも、感情の片鱗すらみせていなかった彼女の中で、少しづつ感情の整理ができてきたのだろう、 と聖地の同僚達は考えつつも複雑な思いで見守っていた。

そして、時間は流れゆく。
死に逝く魂を置き去りにして。
いや、それとも、置き去りにされるのは生きている自分達なのだろうか?

その間、アンジェリークの仕事ぶりは、以前にも増して意欲的であり補佐官としての揺るぎ無い地位を確立しつつ、いまだ時折起きる黒いサクリアがらみの問題に惑星監査官としての任務も遂行していた。
昇華や封印は必ずしもうまくいくとは限らない。
幾度か犠牲者の出た事件もあったようだ。
それでもアンジェリークはだだ黙々と任務を遂行していた。
そんなある日のことである。

◇◆◇◆◇

「アンジェリークの怪我の具合は?」
ロザリアが女王としてなのか、友人としてなのかいまいちわからない口調でその場にいる守護聖達に尋ねた。
「あ〜、意識は戻ったようです。暫くは、安静が必要、とのことでしたが」
ふう、と、ロザリアのため息が広間に伝わった。
「あのこ、なんでまた、聖地に協力を仰がなかったの……?」
ある、辺境の惑星の事件。
確かに緊急のことではあった。
だが、ひとり乗り込むにはあまりに無謀なのは火を見るより明らかだったのに。
結果的に昇華はできたものの、アンジェリークはひどい傷を負って、帰って来た。
幸い、命に別状も無く、おかげで惑星の被害は最小に留まったのだが。
ひとつ間違えば、アンジェリークの命がなかったに違いない。
釈然としない思いに
つい、口調が女王でなくなったロザリアは、こほん、とひとつ咳払いをすると今度は威厳に満ちた声で言う。

「最終的な調整を、アンジェリークの代わりに誰かお願いします。そうですね、オスカー、あなたに」
「御意」
オスカーはそう言って深く一礼した。

◇◆◇◆◇

辺境惑星に向かうことになったオスカーは、結果同行することになったゼフェルと二人で次元回廊へ向かう。
その先に人影があった。
「お嬢ちゃん、どうしてここに」
「おめー、なに考えてんだよ!おとなしく寝てやがれ!」
二人の守護聖が同時に口を開く。
その人影は、暫くの間絶対安静といわれていたはずのアンジェリークだったのである。頭部に包帯が巻かれていた。
「もう、動けますから。被害が最小に済んだとはいっても傷ついた人達はいるんです。途中で、放り出すわけには」
静かにオスカーが言う。
「お嬢ちゃんの責任じゃない」
「わかっています。それは。でも、気が済まないんです」
深いため息を吐き、オスカーは彼女の包帯のまかれた頭にそっと、その大きな手でふれる。
「もっと、自分を大切にするもんだ」
アンジェリークには、その手のぬくもりがどこか、残酷に感じられた。
オスカーから身を離し、微かな笑みさえ浮かべて応える。

「今更、死など恐くありませんから」

その時、すぱーん、とアンジェリークの頬が鳴った。
「ざけたこと言ってんじゃねえ!いいかげんにしろよ、おめえ……」
最後の方は、涙声だった。
オスカーはゼフェルのわなないている肩に手をかけ、静かにいさめる。
「どんな理由があっても、女性に、しかも怪我人に手をあげるもんじゃない。―― 男なら」
ぐっ、と押し黙るゼフェル。
しかし、その行動がゼフェルの、不器用ながらもアンジェリークを大切に思う気持ちから出ているのは百も承知しているオスカーである。
「死を恐れないことは、強さじゃないぜ、お嬢ちゃん」
アンジェリークは答えた。

「知っています。……そう、これは、私の弱さですから」
と。

◇◆◇◆◇

「こんな時間まで、本を読んでいるのか?ルヴァ」
本に集中しすぎてノックの音に気付かなかったのだろう。
執務室に入ってきたジュリアスに直に声を掛けられるまで無反応だった地の守護聖は顔を上げた。
「あー、ジュリアス。そう言うあなたこそ。今、帰るところなのですか?」
「ああ、そう思ったが、そなたの執務室の明かりが見えたのでな。もしよければ、付き合わぬか?」
ジュリアスは持っていたブランデーの瓶をみせる。
「いいですねー。ちょっと待っててくださいね、グラスをもってきますから。よっこいしょ」
そう言って立ち上がり、持ってきたぐい飲みに、ジュリアスは苦笑する。
「そなたは、つくづく、我が道をいくのだな」
「はあ、そうですか?」
まあいい、と再び苦笑してぐい飲みにブランデーを注いだ。

暫く、静かな時間が流れたが、ルヴァがおっとおりとジュリアスに話しかける。
「こうしてお酒を飲むことも、久しぶりですねえ」
「ああ、そうだな。特に酒好きの人間もいなくなったしな」
未成年組みを含むメンバーで時折開かれる酒の席をこのふたりの古株守護聖達は知らない。
ばれれば禁止されるのだから、隠す方も必死である。
そこからばれる心配なし、と判断されてか、クラヴィスは時折誘われて、顔を出しているようではあるのだが。
「よく、カティスやメイファン殿の館で飲みましたねえ。みんなで、あなたを二日酔いにさせて仕事サボろう、なんて計画たてた時もあったんですよ。しってました?」
「それは知らないが、発案者の想像はつくな」
穏やかな笑いの後、ふいに沈黙が訪れる。

「で、今日あなたがここを訪れた本当の理由を教えてくれませんか?」

ぐい飲みの中でゆれるブランデーをみつめながらルヴァが静かに尋ねた。
ジュリアスはいつもの執務を執り行う時のような声で話し出す。
「アンジェリークが、怪我をおしてオスカー達と同行したそうだな」
「ええ。でも、何事も無く終了して明日には戻るそうです」
ジュリアスは手の中でブランデーをゆらしている。ブランデーグラスでないためいささか回しにくそうではあるが。
そんな様子にルヴァはため息をついて、再び尋ねた。
「あなたが気にしているのは、その『アンジェリーク』のことなのですか?」
と。
ジュリアスの手が止まる。
「ルヴァ……?そなた、知っていたのか?」
驚きを含んだ、蒼穹の瞳が静かに同僚をとらえる。

「やっぱり、そうでしたか。かまをかけたようですみません。私は、何も知らないのです。あなたがたの間に、何があったのかは」
ただ、やはり何かがあったんですね。ルヴァは続けた。
―― あなたと、クラヴィスとの間に、二人が共に傷つくような出来事があったんですね。
遠い、遠い昔に。
先代の女王の即位の時、あなたはクラヴィスの態度に何も言わなかった。 てっきり私も、他の方々も、ディアがとりなしてくれたのだと思っていました。 でも、彼女は違うと言った。
そして、先の女王アンジェリークが亡くなった時、暫く執務を放棄したクラヴィスに対する、あなたの態度。
それでなんとなく、何かがあったのだと思っていました。

「アンジェリークの。補佐官のアンジェリークの様子に、クラヴィスのことが今になってまた、気になるのでしょう?」

昔から、あまり感情を表に出さないクラヴィス。
あの職務放棄の時以外は、今も昔もあまり変わらないようにみえる。
けれど、恋人を失い、痛々しいまでに傷ついているのがわかるアンジェリークの姿に、もしやクラヴィスの本心もそうなのではないかと。ジュリアスはそれが気になっているに違いないと、ルヴァは感じている。
黙っているジュリアスにルヴァはあくまでもおっとり話しつづける。

ああ、今度は、私がこの台詞をいう番なのだと、オリヴィエに「あんたは変わんないわね」と言われたけれど、長い時を経て自分も少しずつ、かわってきたのだと。
そう思いながら。
かつて酒を酌み交わし、自分に道を示してくれた先輩達。彼等の言葉を、伝えるのはきっと今なのだろう。
「夜は、必ず明けるものなんだそうですよ」
光の守護聖が「?」と眉をひそめる。
「知識などいくら持っていても、役に立たない時はあるんですよ。そんな時は、じ〜っと待って、時が過ぎるのを待つんです。
そうすればほら、雨は止むでしょう?夜が明けるでしょう?そして、太陽が出て、明るい光が射してくるんです。
ね?ジュリアス」
ジュリアスは黙って笑みをこぼす。
その笑みにルヴァも嬉しそうに
「散った花も、春になればほら、また必ず咲くじゃないですかー。」
そういって、ジュリアスのぐい飲みにブランデーを注ぎ足した。

夜は静かに更けていった。いつかは明け行く明日の朝の予感を感じさせながら。
 


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「余計なお世話その1」
ルヴァの台詞どっかで聞いた。そう思ったあなたは
〜闇をみつめる天使〜14明けぬ夜と散らぬ花